FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

虐待・・・そして自立と自律

先週、仕事中に何気なく流れていたテレビを見ていたら、3歳の幼児が、親の虐待が原因で死亡するという痛ましい、本当に痛ましい事件が報道されていました・・・辛いです。その子が顔にあざを作り、正座をしている写真まで映し出されていました。親は、若い女性で、内縁?の夫と2人でその子を虐待したのです。僕は、なんの回避の術も持たない幼児や高齢者の虐待の話を聞くと、本気で同じ目にあわせてやりたいと思ってしまいます・・・でも、そんなことに全く意味はないですね。それに虐待をしてしまうすべての人が、本当に悪意に満ちているとは限らない・・・認めたくない部分もありますが。

とにかく、まずは子どもたちを守るすべを考えてみたい。「赤ちゃんポスト」、いろいろ批判とかありましたね。でも、僕はものすごく肯定します。例えば、多くのケースで、交際相手の男性が、女性の子どもを虐待するケースが多いように思います。大切な子どもがいながら、そんな男と付き合ってしまう、あるいは何らかの事情で育てることに困難がある場合、その子を守るべきだと思うのです。もちろん、親が幸せに育てることにこしたことはありませんが、その状況になってしまったら綺麗事をいってもどうにもならない。

今日、家に戻ると1号の中学校の入学式で校長先生が話した式辞が書かれたプリントが置いてあったので読んでみました。その中で、「自律とは、自分を律すると書く、自分をコントロールすることが大切」みたいな文面でした。僕は、決してそんな風に思いません。まず、「自立」ですが、これは、「自分でする」ことを意味すると考えます。自立支援、とか言いますよね。自分でできるようになることを支えるというわけです。そして、もう一つが「自律」。これは、「例え自分でできないことがあっても、自分の責任で自分の生き方を選ぶこと」だと思うのです。

僕の大好きな漫画に、「家裁の人」というものがあります。これは家庭裁判所の桑田判事を主人公とする物語です。この物語の中では、しばしば「選ぶこと、選べること」について直接的あるいは間接的に語られます。桑田判事は、物語の中で、「人は選べるから素晴らしいんだ」と言います。

もしも何らかの理由で、大切な子どもを自分の力で、つまり自立して育てることができない状況にあったとき、僕ならどうするだろう?って考えます。僕は躊躇なく、誰か子どもたちを幸せにできる可能性のある人に託すという選択をするでしょう。これは、ある意味で「自律」なのだと思います。

僕は、我が子だけでなく、少なくとも自分の力で虐待から逃れることのできない小さな子どもたちを心の底から救いたいと思います。救うというのは、「幸せにする」なんて偉そうなことまではもちろん言えなくて、「回避させる」というレベルで十分です。どうしたらできるんだろうなあ・・・

僕の考えに対して、いくらでも批判を受けますが、批判を恐れず言うならば「幼児ポスト」も必要だと思います。突飛な発想かもしれませんが、手続きとかを無視してできる無認可の受け入れ先が全国にあれば、救われる子どもたちが増えると思う。「犬や猫じゃない」という人がいるかもしれませんが、犬や猫、そして他の動物だって、同じように当たり前に生きる権利がある。

いつか、そんな取り組みを真剣に考えてみたいです。ビルゲイツのような人が、税金対策でいいから出資してくれたら良いのになあ、なんて真面目に考えるときがありますが、そんなことだから実現できないんですよね・・・他力本願(苦笑)。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。